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2005年2月


2月23日

みなさん、1週間ぶりです。

とってもしんどいバイトと、それが原因のとってもひどい風邪に倒れてましてとても更新できませんでした。すんません。
いちおう出来事はたくさんあったので、元気になったら暇を見て穴埋めしていきます。


まだまだ体の調子は悪く、ちょっと無理をすると寒気、頭痛、関節痛、吐き気、とさんざんな状態ですが、そんな状態ながら明日から私は自宅を離れ兵庫の教習所で生活しなければなりません。
なぜなら私はいまだ普免をもっていないため免許取得ののために合宿に望むのです。


最短で卒業できれば、3月の12日には帰ってこれるはずなのでがんばってきます。残念ながらあちらの宿泊施設にはインターネット環境が無いそうなので、HPは更新できません。

ということでケータイからも更新できるブログの方に日記を書きたいと思います。気にしてくれる人がいましたら見てやってください…。




                
              ダウンひろゆきの図。立て!立つんだ…
                なんて無理。まじしんどい。




2月16日

「この水、使っても大丈夫なんだろうか」

大阪の家庭を潤す水源は、誰もが知ってるあの琵琶湖だ。
最近ただでさえ琵琶湖の水質汚染が問題視されているのに、私の住んでいる東大阪までの供給経路を想像すると恐ろしくなる。
汚れた水をクスリで殺菌したような毒々しい水なのでは…と悪いイメージばかりでてくる。


むかし父が家の蛇口からどれだけでもでてくる普通の水を「黒部っこウォーター」と名づけた。そしてそれを私に飲ませていた。
その当時では水などプラスにもマイナスにもならないような、あって当然の存在のように感じていたためそんな名づけられて出されても大して価値は感じなかったものだ。
各家庭に水が湧いてるような土地だから、そう感じても、それはそんなに間違った事でもない。

しかし、大阪に来てみてびっくり。その黒部っこウォーターが売ってるではないか。
ふつうのペットボトルに入った黒部っこウォーターをみなさんお金を出して買うのだ。
なんということだろう。先輩の家にも黒部っこウォーターが山積みだ。


確かに、ここの水はまずい。飲めたもんじゃない。
基本的に水を飲むという概念が存在しない。
だが、水は飲めるもの。というイメージで育った私としては、そんなイメージがなかなか定着しない…。

怖い水だなぁと思いながら、その水で米を炊いてる自分がいるのだった…。













2月15日

大阪府寝屋川市で少年が学校で殺人事件を起こした。
家からもそんなに離れていないからなんだか不気味なくらい身近に感じる。
大阪に来てから都会の恐ろしさを度々感じてきたけれども、ついにこんな大事件が近くで起こってしまった。

犯行に及んだ少年は、17歳の無職。動機はかつてのいじめの復讐。かなりのゲーマーだったらしく、ニュースではその殺戮ゲームの影響だとかなんとか騒いでいるが本当にそれが彼を凶行に駆り立てたのだろうか。

ファミコン誕生から次世代ゲーム機へ移行していく時代、そして複雑化していく社会をちょうど子供の時期にすごした私達の年代にとってゲームというのはどこか生活から切り離せない。
現代化していく生活の中では、それまでの生活ではありえなかったストレスが生じ、そんなストレスを背負った人々はゲームという仮想世界でそれらを忘れることができるからだ。

専門家が言うにはこうだ
「ゲームという仮想世界と現実の区別ができなくなった」
と。

それならばゲームをしなければ今回のような事件がなくなるのだろうか?
私はそうとは思えない。むしろやりばのなくなったストレスは今以上に爆発しもっと凶悪な事件が増えるに違いないと思う。現代の子供にとってゲームという仮想空間は必要な空間。ストレスが支配するこの世の中ではゲームなど関係なく、子供の心は狂うのだ。

しかし、刺激的なゲームが子供に与えている影響も確かに大きい。子供はしてはいけないという指定もあるが、人間は快楽を求める生き物である以上、現実に体験できない事ができるゲームとなると子供もやりたくもなるものだろう。どこかで刺激的なゲームを経験するものだ。

しかしそれはゲームをする子供が悪いのではない。ゲームとはいえ、人を殺す体験ができる機会を作った大人が悪いのだ。普通に考えると、人を殺せるゲームなど作る必要もないし、むしろタブーともいえる仮想空間だろう。子供に限らずそんなことをしていいわけがない。それを軽視し、人間の心につけこんでそんな犯罪ゲームを作る者こそ、日本を狂わす存在だ。今回の事件も、
「仮想空間と現実の区別ができなくなったひきこもりゲーマー少年」
などということより、
「少年達の心を狂わせていく殺人ゲームを作り続ける会社」
という問題を取り上げた方がこれからの社会のためになるんじゃないだろうか。


「死んだ人は生き返る」
なんて信じてしまうくらい少年少女は純真で繊細なのだ。できあがった大人の常識を勝手に押し付けて、彼らの心を狂わせるなんて事はしちゃいけない。









2月14日

今日はバレンタインデー。

買出し先のスーパーにもうれしいような困ったような表情でチョコを選ぶ女の子達の姿がある。女の子は大変だなぁ、と勝手に同情してたら、あんたに同情されるほど落ちぶれてへんわ!と言いたげな目でにらまれた。

そうだ、そんな自分は今年のバレンタインもらえるのだろうか。一応彼女はいるが、もらえるとは限らないんだなこれが。忘れていたともやっぱやめたとも言われかねない。なんだかんだでもらえなかった場合を想像すると寂しくなってくるひろゆきくん。

…などと色々心配したが、そこは彼女。さすがにくれました。しかも私のことをよーく理解したチョコを…。

                
                     これは…?

上の画像、どう見てもただの魚の絵の描いた銀紙ですが実はこの銀紙にチョコが包まれていたのです。包まれた状態は立体的で、まさにイワシそのもの!そしてその名も「サーディンチョコ」。彼女いわくチョコ探しをしていてこれが目に入ったとき、「これしかない!」と思ったそうです。さすが…。

しかしホントのところこれをもらったのは初めてではなかった。なんと去年もおととしも私が中学の時もこのチョコをくれた人がいたのです。それは…マイマザーでした。さすが…。今年はこのチョコの顔を見る事はないとおもっていただけに、なんだかうれしくなりました。まるで1度に2人分のチョコをもらったような気分でした。


うれしいことはうれしかったのだが…ホワイトデーが思いやられるなあ。

ほんもののイワシでもプレゼントしようか…焼いたらおいしいよ、とか言って…。




なんてね…










2月13日

牡蠣の余韻がまだのこる今日の夕食は無意識ににリッチなものになっていた。
やはりあれだけ食べると多少のことでは満足できなくなるものだ。

そしてマックスバリューとマンダイというスーパーをハシゴして半額鮮魚をあさるわたし。鑑定士のように魚をにらむ姿は周囲から異様な存在に見えたに違いない…。
鑑定の結果この二つが選ばれた。

          
      真鱈白子150円。          サーモン刺身用220円。

大好物の二つが予想より大幅に安く手に入った。こりゃあ楽しみだ。

まず真鱈白子はどうも鮮度が気になるのでしっかりと熱を通すことにした。本来なら半生もしくは生で食したいところだがそれはどうも危険だ。考えた末、ダシで煮てからポン酢で食べる事にした。

サーモンは考える事ないですな。ふつーに平作りにします。

       
               2月13日。今日の夕飯。

みなさん白子は好きですか?このとろっとした食感、クリーミーな味わいは通をうならせること間違い無しでしょうが、中にはこの脳みそチックな外見に秒殺される人もいるでしょう。
今日の白子は正直多すぎでした。あまりにも多すぎて途中から醤油とわさびつけてごはんにぶっかけ白子ごはんにしちゃいました。それが以外にうまかった。

そしてサーモン。これはいわゆるアトランティックサーモン・大西洋鮭というイギリス周辺が産地の養殖モノです。最近養殖技術が向上し質の高いサーモンを提供する事ができるようになったようで、数年ほど前からどこにいっても見かけるようになりました。脂ののりがとてもよいので割と若い人に人気がありますが、年配の方にはあまりうけがよくなかったり、サーモンピンクや独特の味が無理って言う人もいて、好き嫌いがはっきりわかれる魚でもあります。
私はめっぽうこのサーモンが大好きでやすかったらつい買ってしまいます。今日は腹側片身というサイズで半額220円。即決でした。

味は、サーモンにしては脂ののりがいまいち…ってな感じ。でも十分おいしいです。ごはんが何杯でも食べれそう。(結局2合くいつくした)


最近この日記が夕飯日記に変わりつつある。
それはなぜか。


釣りもできん大阪では食うことしか楽しみないんですわ。






2月12日

牡蠣宴3日目。

私はひそかに企んでいた。
やっぱり焼き蒸し以外も食べたい。なんとかして料理してやる。
そんなことを企んでいた。

「やっぱ主食があったほうがいいやろう。今日は鮭のクリームパスタを作るよ」

そんな私の善意を断るわけも無い友人。
しかし、まさか図られているとは思いもしていない友人。そう、私は鮭ではなく牡蠣を投入し「牡蠣クリームパスタ」を作るつもりなのだ。

少量のにんにくをオリーブオイルで熱し、しめじ、しいたけを投入し白ワインを振り軽く炒める。バター(なんて買うかねないのでマーガリン)を入れ小麦粉を加えて炒め塩コショウで味つけしホワイトソースの下地を作る。

               

…本当ならこの段階で牡蠣は投入されているはずであった。だが…

「まさかー牡蠣入れるつもりやないよねー?」

調理途中の予想だにしない一言。そして監視。
完全見抜かれちゃってましたから!切腹!って感じですかね。万策つきて結局鮭クリーム作ることになりました。あーあー。

調理の続き。下地に牛乳を加え煮詰め、牛乳のにおいがとんだら鮭缶を汁ごといれもう少し煮詰める。これで鮭のクリームソースは完成。

              
                牛乳を加えた段階。

もうあとはパスタにかけるか絡ませるだけで出来上がり。これに牡蠣が入っていたら…どんな旨味のパスタができたことか…。まあ、それはこれを友人に食べさせて想像させるとしよう。絶対後悔するぜ。

そして肝心の牡蠣。今日は焼きと蒸しで食いつく予定だ。
35個くらいだろうか、一気に調理してしまおう。こんな豪快なこと夏の海でしかしたことない。

              
                ハイカロリー稼働中。

この待ち時間にパスタを食す。
きっと、「牡蠣入ったらもっと旨かったかも…」という負け犬の声が聞けるだろう。

              
      白ワインと合うクリームソース。その後友人の口からは…

そんな私の企みは、ことごとく粉砕されました。おいしそうにパスタを食べる友人の口からは、パスタの好みについての批評がでてくるのみ。ちょっともどかしくなり
「これに牡蠣入れたら…」
とつぶやいてみたが返答は
「そうやねえ」
となんのひねりも無いコメント。こりゃあだめだ。

がっくりきたのをパスタとともに飲み込んでキッチンへ。牡蠣の調理も終了だ。
出来上がった牡蠣を運び、さあ宴じゃ〜。

        
           この牡蠣の中からあふれんばかりの肉汁が。

もくもくと牡蠣を食い続ける2人。当初はとまどった牡蠣の殻も慣れた手つきでスムーズにあけれるようになり、軍手姿がよく似合うようになった。そして気のせいか体に生気がみなぎっている。

これだけ食べると、牡蠣が世界中の偉人たちに愛されたという理由もなんとなくわかる。武田信玄が牡蠣好きで有名だと日本史の先生に習った覚えがあるが、ほかの国では、ジュリアス・シーザーのイギリス遠征はテムズ河の牡蠣を手にいれるためだったとの説があるし、ナポレオン1世が戦場でも必ず牡蠣を食べたため、ナポレオン3世が牡蠣の養殖を奨励したともいわれている。ドイツ帝国の初代首相ビスマルクは175個、文豪バルザックは一度に144個の牡蠣を食べたという話もあるらしい。

確か1万円で120〜140個のセットがあった。それを食べれば私も偉人に近づけるだろうか。よーし、牡蠣パワーで偉人、ゲットだぜ!




2月11日

牡蠣宴2日目。

今日はカキフライでもしようかと思ったが、ここで友人と対立。

「これ以上うまい食べ方はないと思われるから残りは全部焼きと蒸しで食べよう」

…私としてはこんな大量の牡蠣に恵まれるチャンスはそうそうないので、様々な味をたのしみたかったのだが…牡蠣でけんかするのも悲しいので、また一緒に購入しようという条件で、今回は全部焼きと蒸しにすることにした。
しかしまだ40個以上ある。今日だけでは間違いなく食いきれないだろうに…

昨日はほとんと焼いたので今日は本格的に蒸してみた。蒸し台の上にのせ10分くらい。



焼いた牡蠣はだいぶ身がしまっていたのに対し、蒸し牡蠣は口に入れた瞬間ジューシーな「肉汁」とも言うべき汁がはじける。プリプリと瑞々しい食感は焼き牡蠣とは全く違う世界だ。

               

               ちょっと汚らしい写真で失礼。

2日間、そして明日も牡蠣だろうというのに全く飽きというものを感じない。
牡蠣とはどうしてこんなにもうまく、飽きがこないのだろうか。何度食べてもうまい。

調べてみたが、その答えはうまみの秘密であるアミノ酸やグリコーゲンなど消化吸収の良い栄養素で活力源となるものがたくさん含まれているかららしい。ほかにも約10種類のビタミンやミネラルなど、人間が必要とする栄養素のほぼ全部を満たしており、味覚だけではなく体が欲しているのかもしれない。だから飽きないのだ。



あぁ、牡蠣に囲まれて更けゆく夜。そんな夢を幼い頃に見た気がする。



2月10日

きました。あれが。



何に見えますか?

「えっ?」と目を疑う方もいるでしょう。
そりゃあまいにちパスタ漬けの男ですからまさか〜とおもわれてもしかたないでしょうが

実はそのまさかなんですよ。
殻つき牡蠣を購入してしまったのです。

今回購入したのは5000円分。牡蠣50個以上入ってました。
以前購入しようと思ったときは、送料の高さに負けて購入を断念していましたが、今回見つけたお店は送料無料。友人も一緒に食べたいと共同で購入ということもあってうまいことてにいれたのでした。

頼んでから3日、ついに届きました。みてくださいこれ。



立派な牡蠣ですよ!富山のテトラとかでとって食べてた超特大なイワガキとかとはちがう種類でマガキですが、十分な大きさです。こいつはこのあと私の口に放りこまれました。

生牡蠣堪能したあとはやっぱり焼き牡蠣蒸し牡蠣でしょー。
ってことでさっそく。



もうねー、言葉になんないですわ。濃縮されたあの芳醇な味わいときたら。
プリプリの身からはうまみがあふれ噛みしめるたびに涙がとまりません…

そしてお酒がおいしいこと。こりゃあ日本酒も焼酎もすすみますわい。
至福。その一言に尽きますわい。



あ〜おいしかった。
まだまだ牡蠣も安酒も残ってるんで賞味期限いっぱい楽しもうっと!
明日はカキフライと牡蠣鍋か…?

こうやって家庭でもおいしい牡蠣が食べれるようになったのは養殖産業の発達のおかげです。その牡蠣の養殖が始まったのは1600年ころらしく、当時の書物に

「海辺の石につきて自然に化生す」「冬春味よし。四月以降秋まで食すべからず」
「石につきて生じ一処にあり動かず、ゆえに牝牡の道なし、子をうまず、皆牡なり」

とあり、「牡蠣」の字はここからきているとも言われます。どうやら牡蠣は身近なわりに生理生態学的な知見の乏しい生物だったようです。しかし私達現代の人々もあまりこの時代のことを笑えません。けっこう妄説が多いのです。
たとえば、かきは栄養状態の良否で雌雄に分化するとか、夏の牡蠣は有毒だという説。これは正しくはありません。

いまでは全国で養殖がさかんになって、様々なブランドの牡蠣が市場に出るようになりましたが、正直なところそんなに多くのブランドがあってもたいそうな違いはないのだろうと思っていました。しかし私が今回食べた兵庫赤穂の牡蠣の味は、一口でわかるほどはっきりとこれまでの牡蠣の風味とは違っていました。調べたところ、その原因は牡蠣体内の水分の循環にあるようです。一昼夜で循環しきってしまうほど絶え間なく水の吸収排出しているため、とてもその地の水質や養分に影響されやすいのです。

私は今回の牡蠣宴でさらに牡蠣が好きになりました。ここまで感動できるものかと思うくらいに感動しました。
新たな発見もありましたしー、今度は違う産地の牡蠣を味わいたいものです。(送料無料に限る…)



は〜…。本当においしい。友達も感動してました。






2月9日

実は昨日、とんでもないことを実行に移した。
それは10日わかる。

今はそれが楽しみで他に書く事が思い浮かばない。

10日の日記をお楽しみに…




2月8日

腹が減ったのでとりあえずパスタをゆでた。
どんな味付けにしようかなんて考えてもいない。
とりあえずアクセルを踏んでから障害物の事を考える。

にんにくのみじん切りをオリーブオイルで炒める。まだ味は決まってない。l

冷蔵庫を覗いているとトマトが1玉忘れられていた。もうじゅくじゅくに熟しきった(腐りかけ)大きいトマトだ。とりあえずもったいないのでこれを使う事に。
しかし茹で時間はすでに6分経過。このパスタは8分なのであと2分。

適当にざく切りし、にんにく炒めてるフライパンにつっこむ。想像以上にトマトは多い。
ここであと1分。

トマトはほどよく崩れ、おいしそう。オリーブオイルとトマトの混ざり具合が食欲をそそる。
ここでパスタを上げる。

フライパンのなかにパスタを投入し絡ませる。トマトが多く、なんとも贅沢になった。
トマトはバジルと相性がいいのですこしバジルをかけてみた。

      

それが大成功。これまで食べた中で1番濃厚なうまみがでており、最高のスパゲティーになった。こんなに手軽に簡単に感動できるなんて、俺ってなんて幸せなやつなんだ。


2月7日

卵と生クリームが余っていた。
そこでおもいつくのはもちろんスパゲティー・カルボナーラ。
あのクリーミーな味はだれもがとりこになるに違いない。

カルボナーラは思ったより難しくない。というか簡単だ。卵クリームのソースをゆでたパスタに絡ませペッパーをかけるだけ。
オリーブオイルとにんにくでべコンを炒め、それにパスタを絡ませ、火をとめ卵クリームソースをかけ余熱で火を通すのがポイントだ。

       

こんかいは卵もクリームもケチったので見た目トロっとした感じではないが、味はカルボナーラそのもの。おいしかった〜。

2月6日

ついに買ってしまった。あの本を。
私はめったに新刊で本など買わないのだが、買ってしまった。

その名も「外道楽」。これまで、この本以上に興味をそそられた魚関係の本などあっただろうか。

―外道をおいしく食したい―
そんなこと、本命を狙って海に出る一般的な釣り人なら間違いなく思いもつかない発想だろうが、私にとっては「釣れる魚」すべてが本命だ。たとえどんな魚だって釣れたらうれしい。それが本命魚といわれる魚と同じくおいしく食べれるならなおさら、外道も本命も区分けをする必要は無い。

しかし、多くの場合そんな外道たちは、食べた事のない人々の口を経て外道という常識に変わってしまう。ただ食べないだけの存在だった魚が食べる価値無しと言われるようになり、それは周囲に価値が無いほどまずいという偏見を抱かせ、皆、まずい魚、と思い込む。そして、釣りものとして価値がない=外道という部類が確立されていくわけだ。

もともと外道とは狙い以外の魚。「シーバス狙いで外道にウグイ」みたいに使われる言葉だ。そのままの意味なら外道は外道で結構。なんの問題もない。だが、価値の無い魚の総称ではない。価値がない魚が外道、なわけではないのだ。

みんな釣りをはじめたときはどんな魚が釣れてもうれしかったと思う。どんなに小さい獲物でも心が躍っただろう。そんな心を忘れて価値の無い魚という区分けを作り上げ、冷酷になった釣り人こそ、外道じゃないだろうか。


2月5日

酒のおかげできぶんよく昼過ぎまで寝れた。

起きて早々、頭の中には鍋のことしかなかった。
そう、おじやをつくるのだ。

好都合にも卵はクレープを作った時のものが残っている。リッチに卵入りのおじやなんて1年ぶりだ。白菜1玉分、肉500グラム分、ダシ1ビン分の味が凝縮された濃厚な汁に卵を入れ、そしてそれらを米に吸収させるなんてもう、法律に引っかかりそうなくらい向精神的。私を発狂させる。

前日にあまった(かくしていた)食材を投入しちまちま鍋も楽しみながらついに卵投入。上手い具合に卵が帯のように広がる。まるで羽衣だ。そしておじや用に固めに炊いた銀色のご飯を投入。するとそれら羽衣がまとわりつきもはやおじやとは思えない輝きを放っている。

そのおじやを腹いっぱいに堪能し、眠くなった頃にはもう夜だった。


2月4日

前日にパスタ食いまくってる日記を書きながら今日は鍋を食べた。
めったにあそびにこない友人が来るというのでちょっと見栄をはったということもある。

3人で鍋をするためにはかなりの食材がいる。主催が私ともう一人なのでお一人さまご招待な状況だ。白菜1玉ではまちがいなく足りないが2玉買うなんて気はさらさらない。半額の豆腐でごまかそう。

肉はBSE上等だぜ。アメリカだろうがオーストラリアだろうが関係ない。安けりゃいいのさ。だからお願いもっとBSEスレスレのキワモノを低価格で提供してくれ。
冷凍輸入豚肉のバラスライスを半額で購入。

ダシと白菜と豆腐と肉。1500円。

3人1500円の鍋で幸せになれる。俺達ってなんて幸せなやつらなんだろうか。

2月3日

試験が続き多忙。さぼってました。

連日の試験で頭が痛くなる日が続く中、私は無我夢中でパスタを作っていた。
1袋1キロの麺、1ネット15個くらい入ってるにんにく、生まれ故郷もわからない怪しげなオリーブオイルなどを大量購入し明日の試験も忘れ、来る食糧難に備えていたのだ。

ここで勘違いしないでほしい。私がパスタばかりを作っているのはパスタが大好物だからではない。ちなみに私は白いごはんとパスタが並んでいたなら少し迷ってごはんを選ぶ男(たぶん)である。

そんな私がなぜパスタ職人化しているのかというと、パスタは量、栄養、味、価格そして拡張性…のバランスが非常に高レベルにクリアされていて、経済的にも健康的にもすばらしい一人暮らしを送るための、最強の布石となるからである。ぱすたあれば憂いなし。そんなんもうわかってるか…。

極端な話、オリーブオイルとにんにくとだけでうまく食える。それにコンソメスープを足せばスープスパにもなる。バリエーションを低価格で増やせることができて飽きがこないという夢のような食材といってもよい。今回のように一気に材料を蓄えれば1週間1000円で生きる事も可能になる。このへん、白米におかず一品の生活では週1000円は実現できない業。

そういうことで、毎日ぱすた。
毎日レパートリーの増える管理人なのですた。


2月2日

節分の季節だ。あまり豆をまいたことはないが、この季節になるとどこからともなく「鬼はー外福はーうち」と聞こえてくる。
そんなのどかな昼下がり、私は「もう節分の季節か〜」とたそがれてみた。すると友人はおもぐろに口を開きつぶやいた。

「…節分て落花生投げるよな…?」

…んなあほな。そんなんネタにもならんて!と、さんざんを馬鹿にして帰った。が…家に帰ってテレビを見てると、ん??なんか奇妙なものを投げてるではないか。そしてそのリポーターは言った。

「いや〜こちらの地域では節分に落花生を使われるんですよ〜!」

なに〜!!長い事生きてきたけどそんなん初耳!!

しかも落花生をなげる地域は意外と広く、北海道から東北と九州の一部、近県では新潟、長野も落花生を投げていた!

落花生を投げる地域の人々は逆に、大豆を投げる光景にびっくりするという。どうりで友人はあんなに自信なさげだったわけだ。

そしてその番組では他に「福は〜内 鬼も〜内」と叫ぶ地域も紹介していたが、開いた口が塞がらなかったのは言うまでもない…。

2月1日

2月。富山では大雪の模様。
富山県民の嘆きが聞こえてくるようだ。
私は中ごろに富山に帰れそうなのだが、雪が積もっていては正直しんどい。はやく溶けてくれないだろうか…。

本屋で立ち読みをしていて、面白い本に出会った。題名は忘れたがその内容は「外道たちを食す」という 、私としては興味津々なものだった。

魚というのは釣り人の思うようには釣れてはくれない。すくなからず狙った魚以外の外道がかかるものなのだが、時にその外道の状態を気にせず捨てる冷血アングラーを目にする。プカプカ浮いている魚をみてなんてかわいそうな事を…といつも思うが、確かに釣れた魚が料理のしにくい魚だったりした場合、どうしようか困る気持ちもよくわかる。

そんな苦悩をこの本ではとことん解決しようとしていた。かつてはうぐいも食したこの私でも「それは食えねえ!」といいたくなるような魚まで料理して、おいしく頂こうという研究を繰り返していた。やはり結果としては予想どうりまずい魚も多数だったが、逆にびっくりするくらいうまいという魚も多かった。

私は魚を食べるために釣りをしているので外道とはいえ魚の命をムダには出来ない。そんなことをこの本で再確認した。








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