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2005年3月


3月27日


3日目。

早いものである。
今日の夜には大阪の自宅で寝るのかと思うと悲しいものだ。最後まで暖かい対応をしてくれた小西屋に別れを告げ、帰路のスタートを切った。

天気は快晴で最終日には最高の日。景色も最高で、春の陽気に暖められた心地よい風を感じながら常神を走る。この上ない爽快感だ。

常神半島を下り終え、敦賀方面に戻るか、この先の小浜方面に向かうか分かれ道に直面したが、このまま帰るのも悲しいので深く考えずに小浜方面へレッツゴー。


いくつかトンネルをくぐり、透明度の高さと魚の豊富さで知られる三方海中公園地区の海へと出た。ここは沖縄?はたまたハワイ?とも思うような青い海だ。
おそらく砂地なんだろう、とてもさわやかな青色だ。
と、海に見とれていると、大きな建物が目に入ってきた。


           
                福井海浜自然センター。


昨日、小西屋のフロントにおいてあった周辺の紹介パンフレットにあった、「福井海浜自然センター」だ。なんだかたくさん水槽があって水族館みたいなとこのようで、私はとても興味があったのだが、彼女は「どーせ高い金とられるんやろ〜…」とあまり乗り気ではなかった。
まぁ、きれいな海でも歩いてこーや、と一応車外へ連れ出し、海を散歩した。
海には孵化したばかりの小魚がたくさん浮いており、それを狙って藻場からアナハゼがたくさん出てきていた。
そんなところまではっきり見えるくらい透明度の高い海を見てテンションが上がったのか、なんだか彼女も楽しそうだ。これなら自然センターの中も行けるかなと入り口に足を運ぶと
なんと入館無料。

入ってすぐのところには天井まであるおおきな水槽があり、そのなかにはこの海でとれたスズキ、マダイ、クロダイ、キジハタ、カサゴ、ソイ、メバル、コショウダイ、コブダイ、など様々な魚が入っていた。
水槽は圧力の調整がしてあり、手を入れてエサをあげれる観察穴が空いていた。手を入れたら70センチくらいのスズキに手をかまれた。


           
              中には様々な魚が泳いでいる。


横には小型の水槽に小さなメバルやカワハギ、ミノカサゴなどが展示されており、さらに2階には、タッチプールという人工タイドプールがあり、直接魚に触れることができた。ここでも中には先ほどのような魚たちがたくさんいて、なんだか大漁の網の中を見ているような気分になった。


           
           タッチプール。鯛やらキジハタやらが触り放題。


福井の漁業についての解説なども一通り見学できて、とても満足できる施設だった。近くにいくことがあれば立ち寄る事をおすすめする。


海浜自然センターを後にした私達はこのまま小浜方面から敦賀に帰るべきか、もう一度レインボーラインを通って帰るべきか考えた末、またあの景色を見たいということでレインボーラインへ戻ることになった。


                
                レインボーラインから日本海。


やはりここからの景色は格別だ。最後にこの景色を見ておいて正解だった。



昨日来た道を戻り、3時ころ敦賀についた。

敦賀に入ってすぐ、気比の松原を通ったので少し車を止めた。敦賀といえばここも有名なスポットだ。
気比の松原―三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ名勝で、ここには「一夜の松原」という伝説がある。

聖武天皇の御代、この地に異賊が来襲した。そのとき一帯は突然揺れに見舞われ、一夜にして数千の松が浜辺に出現した。樹上には無数のシラサギが。それはまるで、風にひるがえる旗差物のようで、敵はその数万の軍勢とみてたちまち逃げ去ったのだという―。

                
                気比の松原。砂浜が続く。


そんな伝説に思いを馳せ、松原を歩き眺めてみた。
なんだか、松の木のざわつきを聞いているうちにまるで意思を持っているように見えてきた。
伝説もなかなか笑えないような気分になったのは私だけだったかな。


そして遅くなったが昼飯を食べにヨーロッパ軒を探した。どうせなら敦賀本店に行こうということになり、細い路地を行ったり来たりしてかなり悪戦苦闘した…。

なんとかビルと住宅の影の店を探し出し、ペコペコのお腹を押さえながら名物カツ丼のセットを注文。


                
                   名物ソースカツ丼。


あまりの空腹に一気にかきこんだ。
味わうと、サクサクしたカツにこのウスターソースが絶妙。
それはこのウスターソースが市販のウスターソースとは違い、ツンとした酸味が控えめで旨味が濃く、ねっとりとカツとご飯に絡むからであろう。
カツ自体もおそらくただの油ではなくラードであげてあるのかサクサク食べたあとに旨味が残る。

さすが、定評どおりのうまさであった。間違いなくまた食べに来るだろう。



敦賀を十分満喫しきった私達が時計を見たときすでに4時ちかくだった。
レンタカーを返し、5時の電車に乗るにはそろそろ頃合だろう。

帰りは同じ過ちは犯すまい。ちゃんと長浜で乗り換え、大阪まで一気に新快速に乗った。


こうして私達は短い敦賀旅行を終えたのだった。



疲れ果てた私はすぐ寝てしまい、起きた頃には、さっきまで見ていた福井の景色はいつのまにか、うるさいほどの街の光になっていた。

なんだろう、今日で終わりとわかってはいたけど―


昨日の夜、小西屋の窓から見上げた星。




今日は見えない。










3月26日


2日目。

朝からしとしとと嫌な雨が降っている。

まず、常神行きの地図を手に入れなければならない。どこかに書店はないものかと思い、車を走らせていると書店を発見。

福井の観光雑誌を購入し、ソースカツ丼で有名なヨーロッパ軒へ行こうと思ったのだがなかなか見つからず、これは明日にすることに。

そのかわり敦賀のラーメンといえばここ!と紹介されていた「ラーメン一力」で昼飯を食べた。

そこに到着すると、敦賀に似合わぬ(失礼だが)行列が出来ていた。普段ならやーめたと帰るところだが、今日はなぜか並んでもその味を食したくなった。紹介されていた「ダブルチャーシュー麺」がとてつもなく食べたくなったのである。

待つ事およそ30分。
出てきたラーメンはチャーシューで覆われている。白銀旅館で朝飯をたらふく食べた事も忘れ、私はがっついた。

鶏ベースのスープはあっさりとしているのだが、大量のチャーシューの脂でコクが増している。麺は食べやすい中太といったところか。私は基本的にギラギラしたこってりラーメンが大好きなので大きなインパクトは受けなかったが、中華そばというジャンルでは確かに高い完成度だ。

勘定をすませダルマのようにでかくなった腹を抱え店をでた。
車に乗り込んだ私は地図を頭に詰め込み常神半島へとスタートを切ったのだった。




途中から天気がよくなってきた。
海沿いの道を選んだだけあって、なんだか都会に疲れた心を癒してくれるような最高の景色ばかりだった。やっぱり私は都会には向いてないな(笑)


                
                  弁天崎…だったかな


車通りも少なく、私も運転なれしてきたのか、非常に快適なドライブとなってきた。

しかし私にはうつる景色が釣り場に見えてしかたなく、なんとももどかしい気持ちでいっぱいであった…。

美浜に突入し、ついに山から日本海、眼下三方五湖を眺めるレインボーラインに入った。
ここの眺めは筆舌に尽くしがたい。


          
     左前方に広がるは日本海。    こちらは三方五湖でございます。


夕暮れも近くなり赤く照らされる日本海を見ていると、なんだか胸が締め付けられるような寂しい気持ちを覚えた。
この景色を眺めていれるのも今だけで、明日にはもうこの景色ともサヨウナラなのだ。

できることならすべてを放り出してずっとこの日本海を眺めていたい―。そんな思いがよぎったからだった。


          
      車窓から常神半島           常神から沈み行く日


そんな物思いにふけっているうちにレインボーラインも終わりを迎えた。
しかしそれは同時に常神半島の入り口である。
曲がりくねった細い道。しかも断崖絶壁。初心運転者の私がよくこんなところにきたものだ…。

そんな常神半島…長い長い道だったが、いざ走ってみるとさほどの恐ろしさは感じなかった。
これは慣れなのか?それともただ調子にのってるだけなのか…?
景色がよいためもあってとても気分よく運転できた。

そしてその景色に大きな島が見えてきたころ…見覚えのある緑色の屋根が見えてきた。
ついに終着点、小西屋に到着だ。


           
                    小西屋別館。


裏手は常神の山々、目前は美しい海。時を忘れるには最高の場所だ。
民宿ならではのとてもアットホームなもてなしが嬉しくてとても幸せな気分になった。

部屋に入り肩の荷を降ろした私達は一息ついてから目の前の海を散歩した。
地元の人が手釣りの仕掛けを引いているが、今は何がつれているのだろう。イカだろうか。
このあたりは奥地だけあって釣り荒れてもいないだろう。おそらくシーバスの魚影も濃い。釣具をもって来ていない自分が情けない…。


                
            小西屋の前。夏にはアジ釣りで賑うらしい。


入り江になっているので波も穏やか。その海越しに遠く島や半島を望む景色は、こうして静かにたたずんでいるだけで心が満たされる。

なにかこう、原点に返ったかのような。私達は霞む景色に日が落ちてゆくのを無言で見つめていた。


日も暮れ、楽しみにしていた夕飯の時間となった。
座敷に座り生き造りが出てくるのを待つ。かつて見せてもらったのだが、この裏手に水槽があり、獲れたばかりのイカや鯛、さまざまな地魚をその日に海から移してきて、食事の時間になってから捌いてくれるのだ。
そして…ついに来た!


         
             45センチのヒラメ、ヤリイカ、ボタンエビ。


いいサイズ(釣り人の言い方になってしまう…)のヒラメと、生きているヤリイカと、おおきなボタンエビの生き造りだ。
このヒラメもイカも3分前までは元気に泳いでいたやつだ。イカなど元気に足を動かしている。

他にハゼのから揚げ、赤魚の煮付け、鍋物…これだけついてまだ安いコースである。
運がよければクエがでたり、イシダイがでたり…さすが漁師の宿だ。

釣り人ならヤリイカの新鮮な刺身の味をわかってもらえるかと思う。本当に感動ものである。甘みと食感が抜群で最高だ。

これは2人前のため、さほどの迫力を感じないかもしれないが、となりに来ていた6〜7人の方達はとんでもない迫力の料理だった。
それでもさすがに彼女は満腹でギブアップし、残りを私が独占したのだった。この上ない幸せなひと時であった…。


風呂に入り、ポカポカ気分でフロントのソファーに座った。
その時ふとサイン入り色紙が目に留まった。95〜97首位打者…小西屋さんへ…?
ってこれイチローのサインやん!!
まさかあの風呂にあのイチローが入ったのか??すげえ…



部屋にもどってお茶をすすり、暗くなった海を見つめた。


私は、なぜ大阪に行ったのだろうか―

ふとそんな事が浮かんだ。これだけ自然が好きで魚が好きで釣りが好きなら、離れなければよかったのではないか。

確か、大阪へは熱い夢を抱いて旅立ったはずだった。今は夢を諦めそして忘れ―

私は一体何をしているんだろう。



気がつくと彼女は幸せそうな笑みを浮かべすでに寝息を立てていた。


「おやすみなさい。」



私は一言声をかけ床に就いた。











3月25日


さぁ、たのしみにしていた旅行だ。

とりあえず宿に連絡したところ、十分な空室ありで1発okだった。

1日目は敦賀駅前の「白銀旅館」
一泊二食で5000円という破格。

2日目は小浜方面の常神半島にある「小西屋別館」
ここは1万ださずに超新鮮でおいしい生き造りが食べれる。おすすめの旅館(ペンション?)だ。

JR西日本のホームページで検索した道のりにしたがってスタート。

大阪駅→新快速→京都駅→新快速→近江今津→普通電車→近江塩津→普通電車→敦賀

という道のりらしい。この通りに行けば2時間半くらいで敦賀には着くはずだ。

だがこの道を選んだことが後に大失敗を生み出す。


11時ころ京都駅に着いた。
次は近江今津行き新快速とある。しかしここで路線図をみて何を思ったか山科まで移動。そして山科から近江今津行き新快速に乗った。

そして約40分。12時過ぎに近江今津に着いたのだがここで衝撃の事実に直面する。
駅員「敦賀まで?ここからじゃあ3時47分の近江塩津行きになりますよ?今からなら京都までもどって頂いて、長浜行きの新快速に乗られて長浜から敦賀まで行かれるしかありませんが…」

なにー。そんなばかな。
ようするにこんなめんどくさい乗り換えなどしなくても、京都から琵琶湖線長浜行きにのれば1度の乗り換えで済んだのだ。あのホームページで出てきた経路はなんだったんだ…。

いきなり近江今津で3時間の待ち時間ができてしまった2人。敦賀のレンタカー会社に昼ごろ取りに行きますと予約していたのにこれじゃあとんでもなく間に合わない。連絡だ。
しかたない、メシでも食うかと駅周辺を歩いてみた…が、ここで意外なものに遭遇した。琵琶湖だ。あるいて3分のところに琵琶湖があるじゃないか。しかも竹生島への船の発着場だ。二階は食堂と休憩所。ここしかない!

                
                「琵琶湖を眺める黄昏の女」

そこにはどこかで扱いなれたようなおばちゃん達がいた。こんな平日の昼間に観光客などそうそうくるものではないようで、近所のおばちゃんたちの井戸端会議所になっているようだった。私達は、ちょっと恥ずかしさを隠しつつ親子丼と他人丼を頼んだ。
でてきたどんぶりはお世辞にもきれいではなく、自分で作ったほうがおいしかったのだが、そのかわり琵琶湖産のしじみの味噌汁や、エビ、ごり、しじみの佃煮など、おもしろいものをいろいろ食べさせてくれた。

一面に琵琶湖を望みながらストーブで温まり、おばちゃんと雑談し、ようやく時は来た。というより、閉店のためしめ出された。
彷徨うあてもなく駅の待合室にて恥をしのんで二人仮眠。そして3時47分。
ようやく近江塩津行きの電車に乗れた。

だんだんと敦賀に近づくにつれて雪が降り出してきた。それもちょっとではない一面の雪景色。初の運転を控えている私にはとてつもない恐怖だ。
そして近江塩津には20分で到着。しかし敦賀行きの電車は1時間後。待合室意味の解からんコントをして時間をつぶし、やっとの思いで敦賀に到着したときにはもう6時ちかくだった。

さぁここから初の運転だ。車は三菱のEKワゴン。
店員の野郎、この大雪の中だというのに私が出発するまで意地でも見届ける気だ。こんな時にそんな親切なことされるとただでさえ緊張してるのになんだか急かされてるようで出発しにくくなるっつーの!!そのハゲ頭に雪が積もる前に失せろってんだ(泣)
あぁ、ほら、サイドブレーキの位置がわからないっ!!

サイドブレーキは足元にあった。サイドやないやん。

お気をつけて行ってらっしゃいませを聞いてから5分後。店員の頭に本当に雪が積もったころ私は発進した。店員は一礼すると頭の雪を払い、戻っていったのだった。

その後「白銀旅館」を探して敦賀市を一周。途中車の流れにのってしまい危うく北陸道へと侵入しかけ、車内は緊迫したが、なんとか白銀旅館のおばちゃんが自転車で誘導してくれて無事到着した。


こうして激動の1日目が幕を閉じた。
白銀旅館のおばちゃんは相当遅くに到着した私達を見て苦笑いしてたが、ちゃんと夕飯はつくってくれた。

               
               一泊二食5千円の夕飯

夕飯はこの値段には十分なくらいおいしかった。刺身、揚げ物、焼き物もちゃんとあったし、なにより味噌汁がおいしかった。これで5千円なら満足だ。



明日はついに常神半島へと出発。陸の孤島の言葉がぴったりのその場所へはおそろしく曲がりくねった崖スレスレの細い道を延々と走らなければならない。



常に神様のご加護があらんことを祈ります…





3月24日

実は明日から彼女と旅行に行く。
ずっと前から約束していたのだが、なかなか機会に恵まれず先延ばしになっていたのだ。さすがにそろそろ行かないとかわいそうかなと、バイト代をもらってきた。

本当ならディズニーランドくらいつれてってやるものなのかもしれないが正直な話、私が全く興味がないものでそんな話はあえて切り出さない…おいしいお魚を食べに行こうと笑顔で盛りあげる私がいた。

そして行き先は福井の民宿に半ば強制的に決定。福井にはよく家族で行ったので割と土地勘があり、とてもいい民宿を知っていたからだ。

せめて今日中に電話して宿を決めようと思っていたのだが、少々バイト先で問題が出て(私の給料が違う同姓の人に渡されていた)今日は予約ができなかった。
いきなり当日に予約して部屋を取れるものなのか彼女はとても心配していたが、行き当たりばったりな性格の私は、なるようになるさ、と答えておいた。



福井へは鈍行を乗り継いで行く。明日は朝がしんどいなあ。







3月23日


無事免許も取得し、ついに大阪へ帰る日となった。
まだぜんぜん魚の顔を拝んでないが、しかたない。なつに期待する事にしよう。
しかし、これで春のメバルとのっこみ黒鯛とはおさらばである。さみしいかぎりだ。
まあ次は夏にシーバスかな。



いろいろな思いを胸に秘めつつ大阪の自宅のドアを開けた。




そこには何も変わらないいつもの部屋があった。







3月22日


問題が配布された。

その時私はかつて無い不安に襲われた。もしここで落ちれば明日以降の予定がすべて狂いだし、金はかかるわ彼女に怒られるわでかなり窮地に立たされるのだ。
この1問1問にその重荷が圧し掛かっているかと思うとペンを持つ手が小刻みに振動した。

その緊張が続く事1時間。試験は終了した。

手ごたえはあった。しかしこれまで手ごたえのあった試験というものでよい成績などだしたことはない。たいてい予想点数マイナス15点がよいところだ。
しかしこのテストはマイナス15点など許されない。どんなに悪くても90点までとらねば不合格なのだ。


そしてその時は来た。後ろで女の子が「あー絶対落ちとるわ〜」と弱音を吐いている。そんな言葉落ちた時のフォローになんかなんないぜ!と心の中で強がってみたが…正直自分もそんな自信はない。

緊張の面持ちで静まり返る受験者をよそに、淡々と合格者は発表され始めた。

無情ともいうべきほどリズムよく掲示板に発表されていく合格者。
あぁ、さっきの女の子は本当に落ちていたようだ。

私の受験番号は157。さぁ、こい!!


153
154
155
156
157
158
159


「やったーーーーー!!!うかったぞーーー!!」

と、心の中で私は叫んだが、そこは受かって当たり前、という顔をして早々と交付手続きに足を運んだのだった。

そして真っ先にあの4人に連絡した。みんなは今日卒テストだったらしくあちらも全員合格したらしい。みんな問題なく取れそうだ。本当よかった。


これで私も自動車社会に生きる事になるのだが、本当に事故だけは起こしたくないものだ。私はビビりだが、調子にのるタイプなので運転慣れしたころが危ないと自覚している…。
便利な自動車も、一瞬で人生を狂わせる事のできる凶器になるのだということを忘れないでおこう…。






3月21日


前日の寂しさから1夜明け、私の頭は釣りが支配していた。

本当なら今日免許センターに行って試験を受け、明日大阪に帰る予定だったのだが…今日が祝日で試験をしていないということに直前になって気付いてしまったのだ…。

そして1日余裕ができた。となると釣りをするしかない。
とはいってもさすがに明日は試験。夜遅くはなれない。短時間で何がつれるだろうか。


生地漁港に到着し、テトラ帯にてスペースを探すがヤリイカ釣り師がたくさんでまともに場所がない。うかつに投げて仕掛けを絡ませたりなんかして怒鳴られるのはごめんだ。

しかたなく常夜灯周りで小物を相手にすることにした。

調子のいい日はサイズこそ小さいもののメバルのライズがみれるこの場所だが、今日はどうも調子が悪いようだ。反応はない。

タナをどんどん下げて着低させてみた。すると、モゾモゾっと何かが食った。
それは引いてるのかゴミなのかもよくわからないほどのかよわい力…。
上がってきたのはニジカジカだった。

        

このニジカジカ、アナハゼと似ていることもあってただの雑魚と扱われがちだが実はけっこううまい魚である。とくに煮て食べると普通にうまい。そのアナハゼもグロテスクな色こそ頂けないが、身はうまかったりする。このニジカジカは25センチくらいで十分食べれるサイズだったが、ほとんどダメージもないようだったのでリリースした。


その後少々粘ってみたが、イカ釣り師は一向に減らず、勉強するためにも帰宅した。


家に帰って問題を解いてみたが…ぼろぼろだった…。
明日大丈夫だろうか…。





3月20日


3月8日新しい同居人が来て、毎日が楽しくなり以降アップサボってました…。


同じ部屋には輪島、羽咋、野々市、横浜から自分より年下の4人が来ました。新しい人が来ると聞いたときはかなりびびっていたのですが、みんな本当にいいやつでとても毎日が楽しかったです。
自分が一番年上ということもあり、付き合いづらくなるかも…と思ったりもしたけど、そんな事も気にせずみんな仲良くしてくれました。

朝起きて、同じ教習を受け、三食を共にし、みんなで飲み明かし、みんな一緒に寝る毎日。いろんなことで笑い、いろんなことで語り、いろんなことで泣きました。
一人の寂しい教習になると思っていた私は、まさかここまで仲のよい友人ができるとは夢にも思いませんでした。


そして、私は順調に教習をすすめ、ついに卒検に合格しました。もう卒業です。


その夜みんなはお金を出し合ってくれて私のさよならパーティをしてくれました。

つい1週間前までは早く帰りたい一心だったのに、そんな気持ちはすっかりなくなっていました。まだまだこの仲間達とずっといっしょにいたい…。

そんな事を語っていた時、一人が言いました。

「この16日間っていうのはすごく短く感じるけど、本当は16日間でちょうどいいんだよ。きっとこれ以上一緒にいると、みんなの嫌なところをみつけてしまったり、いろいろな問題も出てくるかもしれない。この短い期間だからこそ、みんなとの出会いがこれから戻るそれぞれの生活の中で夢のように輝いていけるんじゃないかな。」

半泣きの彼のその言葉に私も涙がこらえられませんでした。


次の日、ついにお別れの時が来ました。

七尾駅から津幡行きの電車に乗り込む私に涙をぬぐいながら手を振るみんな。
まるで別れを惜しむ恋人のような気分の私は今にもこの扉を飛び出してしまいたい心境でした。せめてもう少し時間を…と願う想いとは裏腹に、電車は動き始めました。

その時、私は信じられない光景を目の当たりにするのでした。

4人が電車を追いかけて走り出したではありませんか!何かを必死に叫びながら、全力で電車を追いかけホームを走ってくるのです。まるで青春ドラマのラストシーンのような、そんな信じられない光景に私は窓に張り付き必死に手を振りました。遠ざかる私にできる最大限のサヨウナラでした。


ふっと目を閉じて見えなくなった4人が瞼の内に焼きついた事を確認した私は、他の乗客に涙を悟られないよう目をぬぐいました。


座席についた私は荷物を確認するためバックを開けました。するとこんなものが…。

                

それはみんなそれぞれに書いてくれた寄せ書きでした。
その時私は、一緒にとったプリクラに書いてあった言葉を思い出しました。

「おまえらみんな最高だ!ずっと友達これ約束」



うつむいてちゃいけない。まだ試験があるじゃないか。一発で受かってあいつらに報告しないと。



見上げた窓には、もう富山の光がうつっていました。








3月7日

朝8時半から乗車。
昨日の温泉の効果なのか…非常に朝がつらかった。

今日の教官は女の人で、何度か当っていたのでまだ寝ぼけてる私をみて笑っていた。やはり男くさい教官より、女の教官のほうが車内の雰囲気も明るく、やる気もでてくるものである。
昨日の復習などをこなし、今日は意外と順調にできた。明日は無線乗車で一人で運転らしい。緊張だ。

宿舎にもどって次の学科の時間を待ったが、あまりにも暇すぎる。かといって釣りにいけるほどの時間もない。特にトモダチもいないので一人でボーっとするしかない。
寝ると寝過ごしそうだし、寝ることも出来ない。こういうときはなんだか監獄にいるような気分だ。

ボーっとし続け食堂に行って新聞を読み、おばちゃんと世間話をして夕飯を食べ、しんどい学科を9時ころまで聞いて一日が終わった。


明日は10時30分と4時20分に乗車らしい。せっかく学科の無い日なのにこれじゃあ釣りは難しそうだ…。仮免とったら教官を手なずけて路上出る時間にそのまま釣りに行ってやろうかな…(笑)


一刻も早くこの自由な監獄を卒業し免許を手に入れたいものである…。






3月6日

日曜日。学科はなく予約実技の日だ。2時からなのでそれまで寝ていた。

今日の教官は新人のお兄さんでなかなかいい人だった。なかなかわかりやすく丁寧に指示してくれて、世間話をするタイミングもよかったし、なにより面白かった。
バックの練習をしてから、坂道とs字クランクをしたのだが、やっぱりはじめてだとパニくる。オロオロになってしまった。なんとかできるようにはなったが坂道にはいまだ不安が残る。
4時からはいろいろな種類のクランクをした。脱輪車が相次ぐ光景を目の当たりにし恐れていたのだが、なんとか私は1度も脱輪することなく終える事ができた…超ノロノロだったが…。

そろそろ仮免の日が近くなってきたこともあり、なんだかとても緊張する。こんな調子で大丈夫なんだろうか…。


3時半から4時半まで時間があったので昨日のソイを捌いた。
食堂のおばちゃんに頼んだら、「厨房はつかったらだめよ!それにあたしゃ魚くさくなりたくないから捌かん」と断られた。よくよく聞くとこの合宿所どうやらそういう規則があるらしい。しかしこのソイをムダにするわけにもいかないので無理をたのんで包丁と新聞紙と皿だけを借りて自分の部屋で捌いた。

そして火も使えないので仕方なく全部刺身に。だが借りた包丁の切れ味がとてもよく、すばらしくきれいに造れた。それを食堂に持って行き、わさびとしょうゆももらって食べた。やっぱりソイはうまいね。できることならアラ汁も作りたかった…。
おばちゃん刺身食べる?と聞いてみたが「釣った魚なんて怖くてくえんよ〜」とまた断られた。まぁ大阪出身の人なので冗談半分の言い方なんだがね…。

最後に「釣りしてくる人すらこれまで一人もいなかったのに、ましてや魚もってきて自分で刺身にして食べる教習生なんてこれからもおらんやろうね…ほんまに世話のかかる…。」と含み笑いで世話してくれた。忙しいのに手間かけてごめんねぇ〜おばちゃん。


そして5時になり家族が遊びにきた。
昼から家をでて、日中ここらへんを遊びめぐったらしい。そういえば以前から弟が氷見のステーキ屋と七尾の食祭市場(昨日のフィッシャーマンズワーフ)に行きたがっていた。

私を迎えにくる前に能登島で遊んできたらしいのだが、能登島大橋が無料になっていた事もあり、私を乗せてまた能登島に向かった。目的は温泉と、私の釣りである。

そして温泉へ向かうとちゅうでよさそうな堤防があったのでそこにとまり釣りをした。昨日とは違い先客が1人いた。何を狙っているのかはよくわからなかったがなんとなくルアーを投げていたようだった。しかし私がきてすぐ、あきらめたのか帰ってしまった。

なんとなくアタリのようなものもあるのだが、フッキングしない。そんなことをしているうちに真っ暗になってしまった。私もそろそろあきらめようかと、浅瀬の藻場をトレースしていたとき、がツンと食いました。弱い引きですが、とてもよく暴れました。上がってきたのは…

        

教習フィッシング第三号はきれいなメバルではないか!サイズこそ15、6センチくらいの極小だが、この美しさには見とれてしまった。
そして同じ場所でもう1ヒットあり、おそらく22、3くらいのサイズでそこそこ引いたのだが手前でバレてしまった…。

きれいな魚で十分満足し、切り上げることにしたのだが、帰り際に一人のおじさんが延べ竿とバケツをもって現れた。何を釣られるんですかー?と聞くと「ハチメよ、ハチメ」。よく釣れてますか?と聞くと「バケツに入っとるよ」。なに、今始めたばかりじゃないのか!と思ってのぞきこむと、さっきくらいのサイズから25センチくらいのメバルが30匹くらい入っていた…。延べ竿に針だけの極めてシンプルな脈釣りだったが晩飯のおかず釣りにはもってこいの釣りだなあ。

そのあと温泉に入った。その名も「ひょっこり温泉」なんだか妙なネーミングだがとてもいい湯だった。極楽極楽…

                
                「ひょっこり温泉 島の湯」

能登島を後にし、最後に弟が来たがっていた食祭市場のフィッシュ&チップスというシーフードレストランのような店に入った。
弟がなぜここに来たがっていたのかというと、実は昔もここで食べたことがあったからである。その時のよい思い出を思い出し、行かなければならなくなったのだという。

私もその時の事をおぼえている。確か私はかつて「鮮魚のソテー」を食べた。そしてその白身魚はスズキだった。とってもおいしかった覚えがある。

今回はパスタ2品とピザ、この店の定番メニューである鱈のフリッターとポテトの「フィッシュ&チップス」を食べた。おいしいことはもちろん注文から出来上がりまでがとても早く、サービスも非常によい。何度何度行ってもまた来たいと思えるとてもいい店だ。

               
               フィッシュ&チップス!おいし。


満足した後、私は教習所まで送り届けられ、娯楽の時間は終了した。名残惜しく、去っていく家族の乗った車を眺めていたが、車のブレーキランプが見えなくなった瞬間、我に返った。そうだ今は教習中なんだ。何かを心に仕舞いこんだ私は踵をかえし、寮へと歩き出した。



部屋を開けると冷えた空気が私を迎えてくれた。私はその空気たちに、

「ただいま…」

とつぶやいてみた。







3月5日

朝から2時間車に乗った。クランクと駐車をやったが、なんだか慣れてきたのか思いのほかスムーズにできた。しかし教官が、歳の割におやじくさい知識をもっていてスポーツ好きな私を気に入ったのかうるさいくらいに世間話をしてきて正直気が散った…。鼻歌をずっとくちずさみ、風貌は丸山弁護士そっくりだった。


すべても教習が午前で終わり、同居していた教習生が卒業していったため、とても暇になった。そこで思い切って海に行く事にした。せっかく海に行くならと…あきらめていた釣りを実行にうつす。

チャリで1時間くらいのところに上州屋があると聞き、そこで釣具を買う。
しかし、求めていたコンパクトなロッドはおいておらず、やはり継ぎ竿しかない。教習にきてる身分であり、しかもチャリでしか移動できない私にとってはかなり痛い。仕方なく一番仕舞寸法の短いロッドとダイワの安いラクセルというリールを購入。ラインは6ポンドを巻いてもらい、ジグヘッド、ワームと最小限のタックルだけを購入し全部で8千円。
合間のライトフィッシングにはこれくらいで十分だろう。


そして釣り場の七尾港へと向かったのだが、なにせ初めての釣り場なのでよくわからない。とりあえず店員に聞いた場所へと向かう。公園のような綺麗な場所だ。
さっそくセットし何投かしたが、ここらへん特有の藻が茂り、とても釣りづらい。チャリの駆動力を生かし埠頭周辺を移動しながら釣り歩くことにした。

                

しかし、釣り人もいない初めての土地での釣りは難しい。的を絞れないまま無反応が続く…。そうこうしてるうちに日も落ちてきて寒くなってきた。チャリで一人さまよいながら能登島を眺めたそがれるのはなんだか寂しかった。

埠頭であまりに反応がないため、思い切って元のフィッシャーマンズワーフへと移動を決意。そのころには気温が氷点下ちかくなり、寒さがシビアな問題となる。そうとうな厚着をしていたにも関わらず震えが止まらない。特に手や、下半身、足先の冷えが尋常ではない。暖をとるために買ったコーヒーの暖かさも、もはや感じないくらいだ。かといって遠い山の宿泊地まで帰る気力もない…。

                

フィッシャーマンズワーフ裏手に河口があった。もう真っ暗闇で海中の様子などさっぱりわからなかったが、波の様子から上げ潮であるようである事はわかった。ねらい目だと考え、吹き付ける向かい風の中、岸壁へキャスト。ゆっくり引いていると、ゆっくり重みが伝わった。やっとヒットだ!
知らない真っ暗な場所でのヒットだ。どんな魚がかかったのだろうかと思いをめぐらしながら寄せてくるとなんだかなじみのある動きだ…そして抜きあげ闇にかざされたそのシルエットはまさしく…ソイであった。

        

サイズは27センチ。でっぷりとお腹の大きなソイで、釣り上げたと同時にハゼの類を何匹か吐き出した。この場所のベイトらしい。
教習期間フィッシング初の獲物となったこのソイ、普通に釣るよりなんだか嬉しい。記念に食堂のおばちゃんに料理でもしてもらおうかとキープすることにした。

その河口対岸には工事船がたくさん留まっている場所があり、確か店員はここもよいポイントだと言っていた。寒さをこらえ最後のふんばりだ。
長い岸壁沿いに探り続けたのだが反応は藻のみ。寒さのため手がかじかみ気は短くなり、もはやアタリがあるのかどうかもわからない。いいからかかってくれと祈りつづける。
探りつづけ行き着いたところにまたも河口があった。今度は先ほどの用水レベルではなく、そうとう広い河川だ。河口が港化されている。常夜灯が何本かあり、海が照らし出されている。どこかの本で読んだ、根魚を釣る場合、常夜灯周りはとても重要だという話を思い出した。根魚の中には暗闇でエサに反応しないものもいるという話だった。それを思い出しながらライトアップされた海面と暗闇の海面のハザマへキャストした。それほど沈めずに割と早めに引いてきたその時。グンッ、とひったくられた。またヒットだ!

そうとう遠く、しかも海面でヒットしたためまたソイだとは考えなかった。ここはセイゴもかかると聞いていたので小さなセイゴでもかかったのかな?と思ってみたのだが…

       

上がってきたのはまるでセイゴのように細い…ソイ。サイズは25センチでしかも細いけどヒレが綺麗でかっこいい体つきでした。


その直後、藻でジグヘッドをロストし、きりをつけるためにも帰路へつくことにしました。


時間は夜9時。路面は凍結し、風は強く、そして目的地は山。
もはや根性では片付けられない気力を振り絞って坂道を延々とチャリで登り、帰り着いた孤独な宿舎に待ち受けていたのは…



ストーブ灯油切れ。









3月4日

教習2日目。
初めて車の運転をした。いつもはバイクを運転してるから手でアクセルとクラッチなので足でアクセルクラッチを操作する感覚がどうもつかめない。ほんの少しアクセルを踏んだつもりが踏みすぎになったりスピードですぎになったり散々だった。しまいにゃ教官に「まじめにやりなさいよ」と笑われる始末。自分的にすごい集中していたので、おもわず「死ぬ気でやってます!」と言ってしまったが、「死ぬような運転はしたらあかん。私はまだ死にたくない」と斬られてしまった。一応合格印はもらったがとても心配されながら今日の教習を終わった。

こんな調子では先が思いやられる。釣りに行って海にドボンなんてことにだけはなりたくないものである。


暇だったので生地の根掛くんに電話してみた。おとといの夕方25センチほどのメバルを何匹か釣ったらしい。今年はクロソイの活性もいいようで、だいぶん浮いてきて食ってくると言っていた。
東部ではないが新湊で50オーバーのキジハタが釣れたという情報も入ってきた。そこまででかくなるともはやクエのようなものである。間違いなくライトフィッシングの域ではない。おそろしや。






3月3日

今私はなぜか富山県ほど近く石川県七尾にいます。

本当なら24日から兵庫県にて合宿教習に参加する予定だったのにインフルエンザは24日になっても完治せず、24日からの教習は断念していたのです。

そして…活動できるようになってから空いてる教習所を探した結果、運よくこの七尾の教習所にキャンセルがでて速攻で来た次第であるわけです。


そしてこの教習所、便利な事にインターネットができます。私のような人間にはうれしい限り。あまり活用する人はいないようだったが…。
ということで暇な時間には更新することができそうです。


あわよくば夜は七尾で釣り…なんて企んでみたけど山奥だし海は遠いしちょっと無理そう。せっかくいいところにいるのに残念だなあ。でもこれが終わったら少しは富山で釣りできそうだからがんばろうっと。


最近魚はつれてるのかな?なんか釣れてたら教えてください。














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